朝日新聞東京本社は以前、有楽町にありました。今は有楽町マリオンがある場所です。

 現在の築地に移転したのは1980年の9月23日。新聞休刊日だった秋分の日に合わせて編集局が移り、その前後にも少しずつ作業を進めました。これを機に、それまで鉛の活字を使って印刷していた作業を一新、コンピューターを使った新聞製作に切り替えました。

コンピューター新聞製作が始まった有楽町社屋の編集局のモノクロ写真。多くのコンピューターが並び、社員が向き合っている様子

 ところが新システムがスタートした翌24日、関東地方を中心にマグニチュード6クラスの直下型地震が発生、25日の午前9時半ごろ、新社屋8階の廊下に水があふれているのが見つかると、時を置かず7階にも漏水。そこには導入したばかりのコンピューターがありました……。

 技術部員を中心に対応にあたりましたが、漏水はなかなか止まらず、ついにコンピューターの電源を切ることになりました。

 結局、夕刊は大阪本社から紙面を送信してもらい、さらに撤収したばかりの有楽町社屋で活字を組むなどして発行にこぎつけました。午後には一部を除いてシステムを稼働することができましたが、その後1週間、地方版は活字を組んで作らざるを得ませんでした。

 幸先のよくないスタートではありましたが、災害時の対応やバックアップ体制がいかに重要かという教訓になりました。

 ところで、かつて朝日新聞社に鳩(はと)がいたことをご存じでしょうか。

 有楽町社屋には鳩小屋があり、数百羽の鳩が飼われていました。記者が取材現場に鳩を連れて行き、原稿を書いた紙や写真のフィルムを鳩に託して会社に送っていた時代があったのです。

 「通信鳩」と呼ばれた鳩との付き合いは1893年に始まり、東京では1961年に廃止されるまで続きました。

 その後、この鳩の功績をたたえるブロンズ像をつくることになり、彫刻家の朝倉響子さんに製作を依頼しました。

 通信鳩係だった人たちは朝倉さんのアトリエを訪れ、「この胸を、もすこし削った方が、精悍さが出るように思うのですが」「この翼の緊張を、いま少し……」などと意見を言ったり、長年、飼育した感触から粘土で鳩を作ってみせたりしたそうです。

 完成した鳩の像は62年6月26日に当時の有楽町東京本社屋上で除幕式が開かれ、いまも有楽町マリオンの屋上庭園(非公開)に翼を休めています。

記者が取材現場に鳩を連れて行き、原稿や写真のフィルムを鳩に託して会社に送っていた「通信鳩」のブロンズ像の写真。緑青の2羽が羽ばたいている姿

朝日新聞オリジナルキャラクターで、白い付け髭を付けた黒猫のマダニャイが髭に手をあてているイラスト

 マダニャイ
(朝日新聞オリジナルキャラクター)

 夏目漱石著「吾輩は猫である」の有名な書き出しからつけられた。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ」
 年齢は不明だが、こう見えて子猫である。
 文学、とくに夏目漱石の作品が大好き。文豪に憧れていて、実はつけひげである。
 好物はサバ缶。

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