東京帝大講師だった夏目漱石は1907年、40歳のときに東京朝日新聞に転職しました。

 今で言うベンチャー企業だった朝日新聞社に移るに当たって、月給や身分保障、小説執筆の条件など細かく取り決めたそうです。

 同年5月3日の紙面に「入社の辞」が掲載され、「大学を辞して朝日新聞に入ったら逢う人が皆驚いた顔をしている」と書いています。

 毎日出社するわけではなく、週1回の編集会議には出席。小説、随筆を執筆するほかに文芸欄も主宰しました。

 在職9年間に紙面に連載した作品は「虞美人草」にはじまり「三四郎」「それから」「門」「こゝろ」など13作。1916年に14作目の「明暗」を連載中に死去しました。

朝日新聞オリジナルキャラクターで、白い付け髭を付けた黒猫のマダニャイが付け髭に手を当てているイラスト

 マダニャイ
(朝日新聞オリジナルキャラクター)

 夏目漱石著「吾輩は猫である」の有名な書き出しからつけられた。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ」
 年齢は不明だが、こう見えて子猫である。
 文学、とくに夏目漱石の作品が大好き。文豪に憧れていて、実はつけひげである。
 好物はサバ缶。

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