祖父が殺されかけた関東大震災 深沢潮さんが語る「当時に近い空気」

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聞き手・富永鈴香 北野隆一
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 9月1日に東京都墨田区で開かれた関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典で、朝鮮半島にルーツがある小説家の深沢潮さんが寄せたメッセージが読み上げられ、自身の祖父が大震災の発生当時、住民らでつくる自警団に殺されかけたという過去が明らかにされた。家族の間で受け継がれている大震災の記憶や、外国人排斥の声が高まっているとされる現代社会への思いを聞いた。

祖父の過去を知り「びっくりした」

 ――102年前に関東大震災が発生したとき、「朝鮮人が井戸に毒をまいた」といったデマが広がり、混乱のなかで朝鮮人が虐殺される事件が各地で相次ぎました。深沢さんの祖父も殺されかけたという過去は、どのように聞いていたのでしょうか。

 今から10年以上前に、在日コリアンの家族をテーマにした「ひとかどの父へ」という小説を書こうと思って、祖父について母に聞き取りをしました。母方の祖父は私が高校1年生のときに亡くなっていて、関東大震災について直接聞いたことはなかったのですが、そのとき初めて祖父が殺されかけたと聞き、びっくりしました。

 祖父は朝鮮半島の南部の鎮海(チネ)出身です。鎮海は日本海軍の基地があり、祖父は小学校の先生をしていました。職を失ったのか、震災の前に日本に来ていました。

 震災が発生したとき、祖父は品川にいました。自警団に囲まれ、発音によって朝鮮人と日本人を見分けるために「十銭五厘」と言わされたそうですが、警察官が止めに入ってくれました。その後、祖父は競馬場に隔離され、殺されずにすみました。警察署によっては自警団に襲われ、殺された朝鮮人もいました。

「祖父の人生を肯定してあげたかった」

 ――祖父はどのような人でしたか。

 部屋でお酒を飲みながら、朝鮮民謡の「アリラン」を歌っていました。でも思春期の私は在日コリアンとして生まれたことに悩んでいたので、祖父のアリランを聞くのが嫌だったんです。

 祖父から「一緒に歌おう」って言われても、韓国人という自覚を促されているような気がして、一緒に歌ってあげられませんでした。過去を知った今は、一緒に歌ってあげたかったし、祖父の人生を肯定してあげたかったです。

 関東大震災の話を母が打ち明けてくれたのは、2人で在日韓国人のオペラ歌手のコンサートを聞きにいった帰りでした。その公演中、母は「故郷の春」という曲に歌詞があることを知り、涙を流したんです。家にオルガンがあったのですが、母は小さいころに祖父がよくこの曲を弾いてくれたことを思い出して、「これは韓国の歌だったんだ……」と。それから祖父がアリランを歌っていたことに話題が移り、母は「でもね、おじいちゃんは人前で韓国人ってわからないように生きていたんだよ」と言って、関東大震災のことを教えてくれました。

記事の後半で、深沢さんによる追悼メッセージの全文を公開しています。

 ――今年、初めて追悼のメッセージを寄せました。どのような思いを込めたのでしょうか。

 「朝鮮人虐殺」という単語が…

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この記事を書いた人
富永鈴香
ネットワーク報道本部
専門・関心分野
人権問題、政治参加、表現の自由
北野隆一
東京社会部記者 兼 社史編修委員
専門・関心分野
北朝鮮拉致問題、人権・差別、ハンセン病、水俣病、皇室、現代史
  • commentatorHeader
    鈴木江理子
    (国士舘大学教授=移民政策)
    2025年11月3日10時0分 投稿
    【視点】

    出自は自らの力で変えることはできない――。  だからこそ、出自を悩んだり、隠そうとすることをなくしたいと思うのなら、社会を変えなければならない。  潮氏と同様に、私も、尊厳の尊重と権利の保障という点において、日本社会は少しずつ良くなっていく

    …続きを読む
  • commentatorHeader
    太田啓子
    (弁護士)
    2025年11月3日10時0分 投稿
    【視点】

    差別がカジュアルになり娯楽化している、排外主義が根を下ろしてしまった、という深沢さんの指摘に全く同感です。付け加えるなら、差別が選挙における得票に繋がることが、強く憂慮すべき近年の状況の特徴だと思います。 差別はデマと表裏一体です。関東大

    …続きを読む