ガス・ヴァン・サント最新作「デッドマンズ・ワイヤー」が7月17日に全国で公開される。本作は1977年にアメリカで起きた人質事件を題材にしたクライムスリラー。実在の犯人トニー・キリシス役でビル・スカルスガルド、人質ディック役でデイカー・モンゴメリー、犯人の最大の敵となる不動産ローン会社の社長役でアル・パチーノが出演した。
人質と自分の首をショットガンとワイヤーでつなぎ、立てこもった1人の男。彼はなぜ追い詰められたのか──。本作には、「狼たちの午後」をはじめとする1970年代アメリカンニューシネマの精神が色濃く息付いている。同時にそこには、格差社会、企業による搾取、崩れ去ったアメリカンドリームといった現代まで地続きの痛みが浮かび上がる。
映画ナタリーでは、映画評論家・森直人によるレビューを掲載。ガス・ヴァン・サントが現代によみがえらせた“ニューシネマの精神”を、音楽や映画史を背景に読み解く。
レビュー / 森直人
映画「デッドマンズ・ワイヤー」予告編公開中
“デッドマンズ・ワイヤー”とは?
ソードオフ(先端を金切りのこぎりで切断)したショットガンの先に、人質の首へ括り付けるためのワイヤーを輪状にして取り付ける。さらに引き金部分には、自分の首へ括り付けるためのワイヤーを同じように輪状にして接続。人質が離れようとしたり、犯人に危害が加えられると、ワイヤーが引かれて自動的に引き金が作動し、発砲される仕組みになっている。

ガス・ヴァン・サントが1977年の人質事件を描く
1952年生まれのガス・ヴァン・サント監督は、1980年代後半からアメリカ映画界で独自の存在感を放ってきたシネアストだ。「マラノーチェ」(1985年)で長編デビューして以降、インディペンデント映画の出自を持ちながら、時にハリウッドメジャーの話題作にも携わり、実験性と物語性の間を自在に行き来してきた。「エレファント」(2003年)で第56回カンヌ国際映画祭パルムドールと監督賞をダブル受賞、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」(1997年)や「ミルク」(2008年)ではアカデミー賞監督賞にノミネート。社会の周縁に追いやられた人物へのまなざし、カウンターカルチャーへの深い造詣、都市の空気を掬い取る繊細な感性──それらは彼のキャリアを通して変わらず流れ続けている。
そんな監督の最新作「デッドマンズ・ワイヤー」は、1977年にアメリカ中西部インディアナポリスで起きた実際の人質事件を題材にしたクライム・スリラーだ(同事件の詳細は2018年のドキュメンタリー映画「Dead Man's Line」でも描かれている)。本作は単なる実録劇というより、1970年代のアメリカン・ニューシネマの精神を呼び起こしつつ、現代社会の不安や格差と響き合うように作られた“二重露光の映画”という印象が強い。ガス・ヴァン・サントのフィルモグラフィの中でも、初期の作家性とハリウッド的な職人芸のちょうど中間に位置するような、名匠の成熟が滋味深く滲む一本と言える。昨年の第82回ヴェネツィア国際映画祭でのワールドプレミアでも大絶賛を浴びた。
あらすじはこうだ。1977年2月、真冬のインディアナポリス。中年の独身男性トニー・キリシス(演:ビル・スカルスガルド)は、不動産ローン会社メリディアン・モーゲージ社に全財産を奪われたと信じ、ついに暴発する。社長の息子で役員のディック・ホール(演:デイカー・モンゴメリー)を人質に取り、自分の首とディックの首をショットガンとワイヤーで固定する“デッドマンズ・ワイヤー”という装置を作動させた。ヘタに動けば銃が暴発する──警察すら近づけない状況で、トニーは謝罪と補償を求めて立てこもりを始める。
追い詰められた男は、やがてメディアを巻き込む。地元ラジオ局に電話をかけ、人気DJフレッド・テンプル(演:コールマン・ドミンゴ)を通して、自らの訴えを電波に乗せる。さらに犯行現場にテレビ局を招き入れ、ディックに銃口を突きつけたまま記者会見を開くという前代未聞の行動に出る。世論は二分され、アメリカ中が騒然とする中、ついにトニーとメリディアン・モーゲージ社の社長M・L・ホール(演:アル・パチーノ)の電話がつながるのだが……。
「狼たちの午後」に連なるニューシネマの系譜
本作を語るうえで避けて通れないのが、ニューシネマの名作のひとつ、アル・パチーノ主演の「狼たちの午後」(1975年)との強い呼応である。どちらも実際の立てこもり事件をもとにした作品であり、追い詰められた男がメディアの渦に巻き込まれ、世間の同情と好奇心の狭間で揺れ動く構図は、まさに「デッドマンズ・ワイヤー」と響き合う。パチーノが本作で人質の父親であり、強引な手法で富を築いた社長M・L・ホールを演じていることは、ニューシネマの記憶を映画内部に呼び込むオマージュとして作用している(ちなみにホール社長の妻を演じるのは、ガス・ヴァン・サントの出世作「ドラッグストア・カウボーイ」[1989年]でヒロインを務めたケリー・リンチだ!)。
ガス・ヴァン・サントはこれまでも、「ミルク」でマイノリティに対する権利と機会の平等を求める70年代の政治的闘争を描き、「マイ・プライベート・アイダホ」(1991年)や「カウガール・ブルース」(1993年)では放浪者の孤独や逸脱を通してニューシネマ的な精神を受け継いできた。「デッドマンズ・ワイヤー」は、そうした彼の系譜の延長線上にありつつ、70年代映画の形式に関してはパスティーシュ(作風模倣)と言えるほど忠実なレプリカを志向しながら、現代の社会問題を語るための枠組みとして“再配置”している点に特徴がある。
撮影監督のアルノー・ポーティエは、アラン・J・パクラ監督の「コールガール」(1971年)の映像スタイルを参照し、70年代特有のざらついた陰影や空気の重さを画面に宿らせた。ロケーション撮影はケンタッキー州ルイビルで行われ、当時の街並みを丁寧に再現することで、我々観客を1977年の都市空間へと自然に誘う。
1970年代の音楽とともに浮かび上がる“アメリカの病理”
そして本作の重要なポイントは、音楽が語る“時代の記憶”だ。物語の語り部となるDJフレッド・テンプル(コールマン・ドミンゴ)の存在は、ガス・ヴァン・サントの音楽的感性を象徴している。実際の事件でトニーと対話したのはニュースディレクターの男だが、映画では彼をラジオDJへと置き換えることで、音楽のプレイリストが物語のリズムと感情を導く“進行役”となった。
劇中ではデオダート「Also Sprach Zarathustra」を皮切りに、ロバータ・フラック、バリー・ホワイト、ドナ・サマー、ダイク&ザ・ブレイザーズ、そしてギル・スコット・ヘロン「The Revolution Will Not Be Televised」など1960~1970年代の名曲が次々と流れる。メインはソウルやファンクなどのブラックミュージックだが、トニーがパトカーを奪って逃走を図る場面では、「センチメンタル・バリュー」(2025年)のエンディングを飾ったばかりの伝説的シンガーソングライターの1972年の名曲、ラビ・シフレの「Cannock Chase」が軽快に響き、観客を奇妙な昂揚へと誘う。さらに、アメリカン・ニューシネマの代表作「明日に向って撃て!」(1969年)でアカデミー賞歌曲賞を受けたB・J・トーマス「雨にぬれても」が皮肉なタイミングで挿入され、物語にほろ苦い詩情を与える。
この“時代の記憶”を、懐古趣味やノスタルジアの名で片付けることだけは避けねばなるまい。人質と自分の首をワイヤーとショットガンで固定し、63時間も籠城した主人公トニー・キリシスの姿には、かつての周縁者の影とともに、21世紀の“アメリカン・ドリームの梯子を外された者”の痛みが重なる。住宅ローン破綻、医療費破産、企業による搾取、中間層の消滅──現代アメリカの問題は、彼の行動の背景に静かに滲む。ガス・ヴァン・サントは、ニューシネマが描いた“反逆者”の系譜を引き継ぎながら、その輪郭を現代の社会的弱者へとそっと上書きしている。
「デッドマンズ・ワイヤー」は、1970年代のアメリカン・ニューシネマの精神、当時の音楽と文化の空気、そして現代の格差社会とメディア環境を重ね合わせ、時代を超えた“アメリカの病理”を浮かび上がらせる極上の鋭利なエンタテインメントだ。そして何より、社会の周縁に追いやられた人物に寄り添うというガス・ヴァン・サントの一貫した優しさが、ここでも確かに息づいている。

「狼たちの午後」
アル・パチーノ主演、シドニー・ルメット監督による実録犯罪映画。銀行強盗事件を起こし、メディアと群衆により“時の人”にまつり上げられる男の姿を描く。「デッドマンズ・ワイヤー」における立てこもり事件や、社会に追い詰められた人物の悲哀とも響き合う1本だ。
「ミルク」
ガス・ヴァン・サントが、実在した政治家ハーヴェイ・ミルクの半生を描いた伝記映画。同性愛者の権利獲得のために闘ったミルクをショーン・ペンが熱演した。システムや権力に抗う者たちのエネルギーは「デッドマンズ・ワイヤー」にも通じる。

















